毎年のことながらギリギリまで粘って粘って、やりたくないので粘って粘って焦って焦ってしまう確定申告を済ませてきました。
やりたくない理由としては、
・計算や書類の整理がめんどくさい
・貧しいことを再認識させられるので嫌(こちらのほうが大きな理由。)
などがあるわけですが、今年は3/15 が週末にかかるためなのか、3/17の月曜日まで受付期間であるにも関わらず、3/14 に済ませるという若干の進歩を達成しました。
自分は税理士の先生などにはお世話になっておらず(お世話になったら生きていけないほどの収入な訳です。)、毎年、税務署に開設される確定申告の相談会場で相談にのってもらう訳ですが、そこに待機している係員の皆様のモチベーションの低そうなことに、腹立たしさを覚えると同時に気の毒にもなります。
腹立たしさの理由としては、「こちらは正直に自主申告しつつ納税しに来ているのだから手取り足取り教えてくれやがれ」という、お客様視点のある意味では理不尽な理由ではあるのですが、一方で、気の毒になる理由としては以下のようなもの。
・納税意識の低い民衆が大挙して訪れ、同じ質問に何度も何度も答えさせられる
・あたりまえのように揃えておいて欲しい書類を相談者は揃えて来てくれない
・人によっては上記のような理不尽なお客様視点から、係員に食ってかかる人もいる
税務署員達の言い分としては、
・事前に税理士に相談しろ
・税理士に相談する金が無ければ、もっと空いている時期に税務署に来て、予め相談しておけ
・本でも読んで勉強しろ
などいろいろあるのだと思います。
なんにせよ自分としては客側の一員だし、お客視点から見てしまうのですが、なんといっても一番改善して欲しいのは税制を改善して欲しい、ということ。
株式や外為の損益計算方法だとか、事業の経費だとか、売掛金だとか、通信費だとか、接待交際費だとか、ナントカ費だとか、源泉徴収だとか、面倒なことが多すぎて嫌になってしまうのです。
様々な経費計上の方法は、恣意性から逃れることはできないし、ましてや納税意識の無い人はそもそも申告しようとも思わないかもしれない。あるいは申告するべきかどうか判断がつかず放置している人も多いのでは。
こんなこと書きつつも、自分も完璧に出来ているのかと言われたら、ミスったりしてるかもしれないな、とも思いつつ、だいたい税務署の職員だって自分の申告した際に添付した書類を見て理解できるのかしら?などと余計な心配までしてしまいます。
つまるところ、出来るだけまじめに申告しようと思いつつも、まじめにやればやるほど馬鹿を見てしまうのではないかという疑念にかられてきてしまう、という人間不信に陥りそうなこんな現状を打破するには税体系をもっとシンプルにしてほしい、と思うわけです。
例えば、消費税を累進課税的にして、それに一本化する、とか。
コンピュータ・セキュリティの世界では、守るべきリソースを減らして、集中してそこを守る、という発想があります。(コンピュータ・セキュリティに限らないかもしれませんが。)
そういう視点で、消費税に一本化してしまい、誰でも正・不正が判断つくようにして、シンプルな仕組みゆえ、高度な技能職者である税理士だの税務署職員だのといった人員を減らし、税収に関わる行政の効率化と品質向上を実現して欲しいものです。
年金だとか健康保険だとか社会保険庁だとかにも同じことが言えますね。
なんて、あまりにも民衆視点で言葉が過ぎましたが、ここに書いたことは面倒な確定申告に対する一方的な苛立ちに起因する妄想ですので真に受けないよう・・。
2008/03/11
人間の能力の話 〜 やさしい経済学 - 21世紀と文明【日経新聞】
4004310741ときどき興味深い話が載る日経の「やさしい経済学」、こないだからちょっと気になっていたけど今は、東京大学教授の西垣通さんという人が連載中です。
曰く、「農耕牧畜が始まるまでのヒトは、数十人から百人程度の群れをつくり、移動しながら生活していたのではないかと考えられている。この人口割合は非常に大切だ。(〜中略〜)ロビン・ダンバーの「百五十名が群れの上限値」(〜続く)」とのこと。
要するに、人間の脳の物理的許容量からは、「われあれヒトとは、せいぜい百名程度の共同体を作り、その中でコミュニケートしあいながら生きる生物」とのこと。
「ではいったい、人口一億以上の近代的国家共同体というのは何者なのだろうか。」
インターネットをベースにして地球村ができ、全人類がコミュニケートしあえるという考えは幻想のような気もしてくる、とも言っています。
ちょっと話は違いますが、2割の働きアリと6割の普通のアリと2割の働かないアリの話などもありますし、生物の視点から人間を見直し、生物の能力や特性を知り、それを考えることはとても興味深いですね。
現代のように人間の能力と技術などの進歩とのミスマッチが大きい時代にはこういった視点から人間の限界を見極めて対策を練ることが重要な気がします。
アマゾンで探したら西垣教授のちょうどそういう話を書いていそうな「ウェブ社会をどう生きるか」を見つけたのでご紹介。
ついでにgoogle してみたら、
http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/int/21/index.shtml
こんな記事を発見。
思想家なのか宗教家なのか、兎に角、教授になるくらいの人は言ってることが意味不明ですね・・。断片を自分なりに解釈するのが精一杯です・・。
曰く、「農耕牧畜が始まるまでのヒトは、数十人から百人程度の群れをつくり、移動しながら生活していたのではないかと考えられている。この人口割合は非常に大切だ。(〜中略〜)ロビン・ダンバーの「百五十名が群れの上限値」(〜続く)」とのこと。
要するに、人間の脳の物理的許容量からは、「われあれヒトとは、せいぜい百名程度の共同体を作り、その中でコミュニケートしあいながら生きる生物」とのこと。
「ではいったい、人口一億以上の近代的国家共同体というのは何者なのだろうか。」
インターネットをベースにして地球村ができ、全人類がコミュニケートしあえるという考えは幻想のような気もしてくる、とも言っています。
ちょっと話は違いますが、2割の働きアリと6割の普通のアリと2割の働かないアリの話などもありますし、生物の視点から人間を見直し、生物の能力や特性を知り、それを考えることはとても興味深いですね。
現代のように人間の能力と技術などの進歩とのミスマッチが大きい時代にはこういった視点から人間の限界を見極めて対策を練ることが重要な気がします。
アマゾンで探したら西垣教授のちょうどそういう話を書いていそうな「ウェブ社会をどう生きるか」を見つけたのでご紹介。
ついでにgoogle してみたら、
http://premium.nikkeibp.co.jp/itm/int/21/index.shtml
こんな記事を発見。
思想家なのか宗教家なのか、兎に角、教授になるくらいの人は言ってることが意味不明ですね・・。断片を自分なりに解釈するのが精一杯です・・。
2008/03/04
Leopard でDNS のキャッシュをクリア
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